top of page

​インドシナ難民の概要

​ 当法人は難民として日本に定住したカンボジア人が中心となり活動しております。ニュースで世界の難民についての話題を聞くことはあると思いますが、実際に難民について具体的に知る機会は少ないのではないでしょうか?このページではインドシナ難民及びカンボジア難民の概要と歴史についてご紹介させて頂きます。

​1. 難民とは?(難民の定義)

 難民条約では、難民を

「人種、宗教、国籍もしくは特定の社会的集団の構成員であること又は政治的意見を理由に迫害を受けるという十分に理由のある恐怖のために、国籍国の外にいる者であって、その国籍国の保護を受けられない者又は受けることを望まない者・・・・」としています。

2. インドシナ難民とは?

 1975年、インドシナ三国(ベトナム、ラオス、カンボジア )では、相次いで社会主義体制に移行しましたが、新しい体制の下で迫害を受ける恐れのある人々や新体制になじめない人々がボートで海上へ逃れたり(ボート・ピープル)、陸路隣国へ逃れました(ラウンドピープル)。

これらの人々を総称してインドシナ難民といいます。

 その総数は144万人に達しました。その内の130万人がアジア地域の難民キャンプを経て、または、ボートプールとして、アメリカ・オーストラリア・カナダ・ヨーロッパ・日本などへ定住しました。

nanmin2.jpg

3.カンボジア難民とは?

 カンボジアでは、1970年から内戦、1975年4月に首都プノンペンが陥落し、社会主義体制になりました。


 ポル・ポトを中心とする新政権は、王政を廃止し、旧政権関係者の大量粛清、生産手段の国有化、都市住民の農村への強制移住など急激な改革を進めたために、難民が陸路タイ領域内に流出しました。


 1978年12月、ベトナムの支援を受けた反政府勢力の大攻撃が開始され、翌年にはプノンペンが陥落 し、ヘン・サムリンが実権を握るカンボジア人民共和国の樹立が宣言されました。民主カンボジア政府側はタイ国境や山岳地帯を根拠地としてゲリラ戦を展開したため、再び大量のカンボジア難民がタイ領内に流出しました。

nanmin3.jpg

4. 難民の地位に関する「条約・議定書」

 難民の地位に関する条約は1951(昭和26)年7月28日の難民および無国籍者の地位に関する国際連合全権委員会議で、難民の人権保障と難民問題解決のための国際協力を効果的にするため採択した国際条約。効力の発生は1954(昭和29)年4月22日。 この条約を補充するため難民の地位に関する議定書が作成され、1966年につくられ、1967年10月4日に発効した。


 2006年10月現在、加盟国数は条約・議定書ともに143カ国。難民条約と略称される。


→ 日本の難民受け入れ政策は?  5 - ①〜④

5. 日本のインドシナ難民の流入と受け入れ ① 

(難民事業本部発行姫路・大和センター記念誌より)  

・プノンペン陥落(1975年4月17日)
・サイゴン陥落(1975年4月30日) ボートピープル大量発生
・1975年5月12日  ボートピープルの日本上陸

 

ラオス人民民主共和国成立(1975年12月2日)
民主カンボジア成立(1976年1月3日)
ベトナム社会主義共和国成立(1976年7月2日)

 

・1977年9月 「ベトナム難民対策」閣議了解 
・1978年4月 「ベトナム難民の定住許可」閣議了解
・1978年9月 3日本邦滞在難民に初めて定住許可
・1979年4月 3日 「インドシナ難民定住対策」閣議了解
             <500人の定住枠>

nanmin5.jpg

5. 日本のインドシナ難民の流入と受け入れ ②


・1979年7月 内閣に「インドシナ難民定住対策連絡協議会」会議設置
・1980年6月       <定住枠1000人
                         <ODP(合法出国者)許可>
・1981年4月 内閣了解により<定住枠3000人
                  <元留学生などを定住枠>
・1981年6月 難民条約締結国会承認
・1981年12月17日 <ODP合法出国者20人初来日>
・1982年1月1日 「難民条約同議定書」発効
・1982年1月1日 「出入国管理及び難民認定法」施行
・1982年10月19日 <難民条約上の難民第1号26人が初認定>
・1983年1月1日  <定住枠5000人に拡大>

5. 日本のインドシナ難民の流入と受け入れ ③

 

・1984年7月 外務省国際局に「人権難民課」設置
・1985年7月9日 <定住枠10000人に拡大>
・1987年8月28日~9月18日 <日本定住難民が初めて一時帰国>

・1986年12月31日 タイ政府カオイダン・キャンプ閉鎖  

・1987年12月31日 <本邦定住者総数5000人を越える>
                        (5421人) 

・1988年6月30日 ベトナム軍のカンボジアからの本格的撤退開始 
・1989年      ボートピープルの本邦上陸数過去最高を記録

5. 日本のインドシナ難民の流入と受け入れ ④

 

・1989年9月12日 難民資格審査認定制度開始
・1990年 <偽装難民の中国向け送還(2830名中1477名)>

 

 カンボジア難民帰還 1992年3月~1993年3月
 カンボジア総選挙 1993年5月23日
 ジュネーブ国際会議で95年末までにインドシナ難民問題解決を決定

・1994年3月4日 ボートピープルのスクーリング廃止、
         不法入国扱い(大村センター入所なし)
・1994年12月6日 <10000人定住枠を廃止
・1995年1月17日 阪神大震災でベトナム人約700人が被災
・1996年6月    <本邦定住者総数が10000人を越える>
・1998年3月31日   本邦定住者総数  11,319名

6. 難民条約等への加入とインドシナ難民の取扱い      

出典:「インドシナ難民と我が国の対応」内閣官房インドシナ難民対策連絡調整会議事務局)


 日本は難民条約に1981年加入、1982年発効、政府は、1981年にインドシナ難民対策連絡調整会議を開き、我が国への定住を既に許可され、又は今後許可されるインドシナ難民について、難民条約にいう難民として認定されない者に対しても、可能な限り難民条約にいう難民に準じて処遇するよう配慮

・1975年5月に千葉港にボートピープル到着 
      日本赤十字社、カリタスジャパン、
      立正佼成会、天理教などに一時滞在
・1979年12月 姫路定住促進センター開所
      ベトナム人 ラオス人
・1980年2月  大和定住促進センター開所
      ベトナム人、ラオス人、カンボジア人

7.条約難民の身分

条約難民証明書
加盟国(2010年147カ国)間で通用する

旅行証明書
加盟国(2010年147カ国)間で通用する

条約難民の数 622人 2013年12月31日 現在

約180人はインドシナ難民 (1982年67人,1983年63人, 1984年31人,1985年10人,1986年3人)    

8.インドシナ難民の身分

渡航証明書
旅券を持たないインドシナ難民の唯一の身分証明書
(日本入国の時に必要だった入国管理局の独自の証明書)

 

再入国許可証明書
海外旅行後に日本に戻れるように入管で申請する証明書

 

在留カード
国籍名が記載されているが、旅券を持たないので、無国籍状態
解決方法 → 帰化許可申請

 

日本人になること!

                                        資料作成:当法人顧問 伊藤裕子

​                 画像借用:難民事業本部 http://www.rhq.gr.jp/japanese/know/i-nanmin.htm

bottom of page